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potatoaim(ポテトエイム)が自分のiPhoneのメモ帳を晒していくブログ。

THE POTATOAIM

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「才能がない」という言い訳

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 「才能」は努力しなかった人の言い訳。努力で解決しないことはない。

 

メモ帳をぼーっと見返していたら、このメモに目が止まったので、このメモについてここでは書こうと思います(笑)これからもこのブログはこんな感じで、今見返したら(良くも悪くも)鋭いことを書いてあるなというメモをその時の直感でピックアップして掘り下げていくスタイルでやっていくことになると思います。過去の自分が残したものに今何かを感じるということはそれが過去から現在への変化を読み解く鍵だということだし、掘り下げることが自分にとっては価値のあることだと思うので。

 

お笑い芸人で芥川賞を取ったピースの又吉直樹さんがテレビで言っていたのですが、又吉さんは読んでみて自分に合わないなと思った本は、つまらないからもう2度と読まないのではなく、1度置いておいて自分のレベルがその本の面白さを理解できるレベルに達したと思ったらまた手に取って読むんだそうです。

時間が経っても変わらないものを、時間を置いて見返すことで、自分の中での変化を知ることができるということですね。前の記事でも書いた定点観測です。

 

ようやく本題に入りますが、才能という言葉は言い訳にすぎないというメモを見て感じたこと。

 

今も基本的に考えは変わりません。才能という言葉は全て、言い訳に使われていると言っても過言ではないと思います。もちろん向き不向きというものは確かに厳然と存在していて、努力でどうにもならないことはあると思います。ビートたけしさんも「向いてないことはやらない方がいい」ということを仰っていたような気がします。努力でどうにかならないことはないというメモの後半部分は、言い訳ばかりで努力しない自分を鼓舞したくて少しオーバーなことを言ったのかもしれません。

 

限界を決めるのはいつも自分だ

僕が最も主張したいのは、才能というものは確かに存在するが、才能という言葉を使ったら負けだということです。才能という言葉を口にした瞬間から成長は止まります。

なぜならば、大成功するまで努力をしなかったら才能があるかどうかなんて分からないからです。本当に苦労してそれでも上手くいかなかったときに「自分には向いてなかった」と言うのは分かります。大人なら時間や金銭面である程度の妥協は仕方ないことだと思うので。努力した結果として才能がないと分かることは価値があることだと思います。エジソンの言うように失敗だと分かったことが成功だという考え方です。

しかし充分な努力をしたということは誰が決めるんでしょうか。それはもう諦めたいと思う自分自身や、諦めさせたいと思っている周囲の大人たちなんですよね。

無駄な 努力をやめるための言い訳としてここでは「才能」という言葉が使われている。

 

弱くても勝てる

才能のせいにする人はこの社会が弱肉強食だという前提があると思います。でもこの世は適者生存なんです。弱くても勝てる。才能がなくてもやり方さえ考えれば勝てるんです。才能のせいにする人は努力を積む方向を間違えているかもしれません。努力を素晴らしいものだと信じているからこそ努力をしても報われない自分は才能がないと思ってしまう。しかし努力にも素晴らしい努力とそうでない努力があります。自分がよくない努力をしていると思ったら才能という言葉で諦めてしまうのではなく努力の仕方を変えてみる。そうすることで才能という言葉で呼称された抜け出せないシングルループから抜け出して成功への道が開けるかもしれません。才能のせいにしがちな人はシングルループラーニングになっているかもしれません。シングルループラーニングについてぜひネットで調べてみて下さい。

 

potatoaim