謝る姿が様になるのがカリスマである
0.今日の結論
謝る姿が様になるのがカリスマである。
1.僕は謝るのが苦手。
(1)謝るのは恥ずかしい?
僕は謝るのが苦手です。
(2)俺は間違ってない!
もう1つの理由として、本当に100%
こういった理由で謝れないのは頭のいい人に多いのかもしれません
(3)謝ったら負け
謝罪ができなくなってしまう最後の理由として、
ちょっと失礼なことを言ってしまったと気付いても平然と会話を続
2.なぜ謝る姿が様になるとカリスマなのか。
(1)堂々とした謝罪って難しい
なぜ堂々と謝る姿がカリスマティックなのか、
(2)潔く謝ることで評価が高まる
またしっかりと自分の非を認めて謝ることで、
3.謝る姿のかっこいいカリスマたち
(1)HIKAKINさん
僕がかっこいいと思った謝罪は、
(2)大竹まことさん
大竹まことさんといえばズバズバと歯に衣着せない物言いをする威
5.まとめ
カリスマ的な存在になりたいと思うことが僕はあります。
ただし堂々とした謝罪ができればそれだけでカリスマになれるとい
potatoaim
人間に言葉を与えた神様のイタズラ
言葉なくしては物事を考えられない不具の苦しみを人は生まれなが
ちょっとナルシストっぽいですね(笑)
1. 本題
言葉というもの
というわけで今日の本題です。テーマは『
人は言葉がないと物事を考えられないですよね。
ですが、
『言葉なくしては物事を考えられない不具』
ではなぜそれを苦しみと言うのかというと、
口は災いのもと
言葉はあらゆる災いの元凶です。
言葉がなければ暴力で解決される世界になってしまうのではないか
個人的に僕は言葉で苦しむことが多いです。
より社会的なことに目を向けると、
日本でももっとノイジーマイノリティという言葉が広まるべきだと僕は思
あれこれ言ってみても
こうしてあれこれ言ってみても、
potatoaim
「強者は孤独」は間違い
ライオンもオオカミも群れを作る。
突然ですが、僕は友達が少ないです。原因はいろいろありますが、
1.なぜ友達ができないのか
(1)そもそも友達ができないとは
友達ができない人には2種類います。
(2)友達が欲しくてもできない派
僕にも友達を作る方法なんて分からないので友達を作る方法につい
(3)友達なんていらないけど作ろうと思えばいつでも作れる派
これはなかなか、本人しだいの問題です。
こういう人はきっと顔がいいとかスタイルがいいとか、
(4) 友達なんていらないけどよく考えたら作りたくても作れなかった派
これがかつての僕です(笑)。
こういう人は大抵、
2.なぜ友達を作った方がいいのか
ズバリ、自分の夢を叶える助けになってくれるからです。
3.結論
なんだかいつになく暑苦しいコラムになってしまいましたね(笑)
potatoaim
美しい勝利に拘りすぎない
男の恋愛における失敗のほとんどは、美しい勝利にこだわりすぎることにあるといっても過言ではない。残念なことに男とはそういうものだ。
少なくとも僕が恋愛で後悔するときはこのパターンが最も多いです(笑)。最初に言っておくとここでの恋愛とは、告白してお付き合いを開始するまでのことです。まだ相手が自分のことを好きなのか分からない状態で駆け引きをして探っている段階ですね。なのでお付き合いが無事成立してからの話は含まれていません(お付き合いを開始してからの失敗は、束縛と放任の使い分けが上手くいかないことから大半は起こっているのではないかと思いますがそれはまたいつか考察していきましょう)。
ここで述べられていることを掻い摘むと、恋人になるまでに潜んでいる告白失敗リスクのほとんどは美しい勝利にこだわらなければ回避できるということです。
それはどういうことなのかのロジックの部分を説明する前にもう1つ定義について説明しておくと、ここでの美しい勝利とは、無事恋人になれてからも円満でラブラブな関係が長続きするような告白成功ということです。
では、たとえ告白が成功してもすぐに別れてしまうような告白とはどういうものでしょうか。それは告白する前に身体の関係を持ってしまったり、まだデートの回数も少なくてそんなに仲良くないのに告白してしまったり。初めに身体の関係を持つと自分はこの人のことが好きなんじゃないかと勘違いして惚れてしまいがちですよね(俗に言うセックストリガーです)。
それに付き合う前に身体の関係を迫る男だと、彼女を大事にしないチャラ男のイメージがどうしても付きまとってしまい、彼女の友人や家族から不信な目で見られたりもします。周囲の応援を得られない孤軍奮闘の恋愛はなかなか辛いですよね。このような付き合い方だと、付き合ってみてからそんなに好きじゃなかったことが発覚することがよくあります。
様式美の理論
恋愛にクーリングオフはありませんから、付き合ってから相性が悪かったと発覚してももう遅い。そういった危険を避けるために人は付き合ってから身体の関係を持つという順序を重要視するし、デートもしっかり3回してから告白するというようなルールを徹底してしまう。これを様式美の重視と僕は呼んでいます。様式美を重視することで周囲の第3者の支援を得ることができるため、順序をしっかり踏むことにこだわってしまうという理論です。
しかしこの様式美重視の理論によってほとんどの告白失敗の原因を説明できると僕は考えています。付き合うことに成功してからのことを考えすぎるあまりなかなか告白することができない。
恋愛とは関係ないのですが、僕の知人には起業したいのになかなかできない友人がいます。その友人は自分の会社が倒産して自分が借金を負うことを絶対にしたくないため用意周到に起業の準備ばかりをしています。
このようにその後の成功も織り込み済みで準備を進めてしまいがちですね。たしかに長期的な利益を見据えることは大事なことが多いです。しかし短期的なゲインを取る方がいいこともあります。今回はそのケースです。
彼女ができても世界は変わらない
付き合う前に準備をしっかりとする人は、付き合う前と後は全く別のもので、付き合う前にしかできないこと、付き合う後にしかできないことがあると強く信じがちです。手を繋いだりハグをしたりするのは付き合ってからじゃないとしてはいけないとか、デートですら付き合ってからするものだと考えたり(かつての僕はそうでした)。特に女性とお付き合いしたことのない男性だと、初めて手を繋ぐのは彼女とがいいとか、夢を見てしまって奥手になりがちです(男性の方が意外とロマンチストですからね)。
付き合ったらこんなことやあんなことがしたいと妄想しがちな人は要注意だと思います。その妄想を大切に胸にしまうのは勿体無いので、今からすぐに叶えればいいんです。付き合っていなくてもデートをしてしまう、手を繋いでしまう。その方が、「この人と付き合ったら毎日こんな感じで楽しいかも!」と好きな女の子に思ってもらえますから。物を売るときに、もし買ったらどうなるかを少しだけ体験させてしまうというのは有効な営業テクニックで、それを恋愛にも応用します。
付き合ってからのことを付き合う前にやってしまう分、付き合った後の楽しみは減りますが、美しい勝利には拘らなくても別にいいんです。
potatoaim
「才能がない」という言い訳
「才能」は努力しなかった人の言い訳。努力で解決しないことはない。
メモ帳をぼーっと見返していたら、このメモに目が止まったので、このメモについてここでは書こうと思います(笑)これからもこのブログはこんな感じで、今見返したら(良くも悪くも)鋭いことを書いてあるなというメモをその時の直感でピックアップして掘り下げていくスタイルでやっていくことになると思います。過去の自分が残したものに今何かを感じるということはそれが過去から現在への変化を読み解く鍵だということだし、掘り下げることが自分にとっては価値のあることだと思うので。
お笑い芸人で芥川賞を取ったピースの又吉直樹さんがテレビで言っていたのですが、又吉さんは読んでみて自分に合わないなと思った本は、つまらないからもう2度と読まないのではなく、1度置いておいて自分のレベルがその本の面白さを理解できるレベルに達したと思ったらまた手に取って読むんだそうです。
時間が経っても変わらないものを、時間を置いて見返すことで、自分の中での変化を知ることができるということですね。前の記事でも書いた定点観測です。
ようやく本題に入りますが、才能という言葉は言い訳にすぎないというメモを見て感じたこと。
今も基本的に考えは変わりません。才能という言葉は全て、言い訳に使われていると言っても過言ではないと思います。もちろん向き不向きというものは確かに厳然と存在していて、努力でどうにもならないことはあると思います。ビートたけしさんも「向いてないことはやらない方がいい」ということを仰っていたような気がします。努力でどうにかならないことはないというメモの後半部分は、言い訳ばかりで努力しない自分を鼓舞したくて少しオーバーなことを言ったのかもしれません。
限界を決めるのはいつも自分だ
僕が最も主張したいのは、才能というものは確かに存在するが、才能という言葉を使ったら負けだということです。才能という言葉を口にした瞬間から成長は止まります。
なぜならば、大成功するまで努力をしなかったら才能があるかどうかなんて分からないからです。本当に苦労してそれでも上手くいかなかったときに「自分には向いてなかった」と言うのは分かります。大人なら時間や金銭面である程度の妥協は仕方ないことだと思うので。努力した結果として才能がないと分かることは価値があることだと思います。エジソンの言うように失敗だと分かったことが成功だという考え方です。
しかし充分な努力をしたということは誰が決めるんでしょうか。それはもう諦めたいと思う自分自身や、諦めさせたいと思っている周囲の大人たちなんですよね。
無駄な 努力をやめるための言い訳としてここでは「才能」という言葉が使われている。
弱くても勝てる
才能のせいにする人はこの社会が弱肉強食だという前提があると思います。でもこの世は適者生存なんです。弱くても勝てる。才能がなくてもやり方さえ考えれば勝てるんです。才能のせいにする人は努力を積む方向を間違えているかもしれません。努力を素晴らしいものだと信じているからこそ努力をしても報われない自分は才能がないと思ってしまう。しかし努力にも素晴らしい努力とそうでない努力があります。自分がよくない努力をしていると思ったら才能という言葉で諦めてしまうのではなく努力の仕方を変えてみる。そうすることで才能という言葉で呼称された抜け出せないシングルループから抜け出して成功への道が開けるかもしれません。才能のせいにしがちな人はシングルループラーニングになっているかもしれません。シングルループラーニングについてぜひネットで調べてみて下さい。
potatoaim
ブログ始めました。よろしくお願いします。
初めまして。potatoaim(ポテトエイム)と申します。
はてなブログ始めました。よろしくお願いします。
このブログでは自分のiPhoneのメモ帳を晒していこうと思います。目的は3つです。
①価値の発信と②価値の再発見、そして③価値の向上です。
①価値の発信
社会的に価値があると思われるメモをブログに投稿していきます。せっかく良いことを書いてるのに自分だけで楽しむのは勿体無いと思うので(笑)。
もちろん自分の言葉ではなくて誰かの引用のときもありますが、その時は誰からの引用なのか付記しようと思います。
②価値の再発見
こうした公共の場で他者からの目に晒されることでそのメモに果たして本当に価値があったのかが明らかになると思います。(良くも悪くも)価値のあるメモであればバズって反響があるでしょうし、価値がなければただ素通りされるだけ。このブログには市場(=はてなブログ)にプロダクト(=メモ帳)を投下してマーケットの反応を通して現状の価値を確認したいというグロースハックの目的があります。
また1度書いたメモを後日見返すことで考えを掘り下げたり(better)、新たに別の見方を考えてみる(newer)というのも目的の1つです。同じものでも別の時間、別の角度から見ると違った見え方になるということがあります。メモ帳を定点として自分の中での考え方の変化を定点観察していくことにもこのブログは活用していくつもりです。
そうした二重の意味での“再発見”です。
③価値の向上
グロースハックと言うのであれば、当然改善は付き物。ここで考えたことや皆さんからの反響を日頃のメモの価値向上のために役立てさせてください。
以上がこのブログをやっていくにあたっての3つの方針です。
人は新しい一歩を恐れる
冒頭のメモはドストエフスキーの【罪と罰】を読んでいたときに印象的だった部分を見つけとっさにスマホにメモしたものです。
そのときの自分には何か刺さりました。
自分も臆病なばかりに簡単な一歩を踏み出せないことがたくさんあるからです。大半の困難はできないんじゃなくて自分がそれを望んでいないだけなんですよね。
自分にはできないんだなんて言うのはただの言い訳だと思います。人間に出来ないことはドストエフスキーの言うようにほとんどないでしょうし、人間にでも思いつくようなことは大抵成し遂げられるようにできてる。人はやっぱり平凡な生活を望むものなんです。自分がそうだとは信じられませんが(自分は欲深い人間だと思っているので)、しかし深層心理では今の生活が一番だと思ってしまっているのかもしれない。
人は新しい独自の言葉を恐れる
そうそう、人は新しい独自の言葉を恐れるという文言も興味深いですよね。世界的文豪であるドストエフスキーですらもそのような感覚を理解することができるのかと驚きます。
自分の考えを自分の言葉で正確に著述するというのはなかなか辛いものです。出来合いの言葉で綴る方がどれだけ楽か。でも、「あー分かる!」という反響は結局自分の言葉で綴ったものでしか引き出せないんですよね。自分の言葉じゃないと、付加価値は生まれない。聞いたことのあるような誰かの引用なら「ふーん」で終わっちゃう訳です(引用に価値がないと言う訳ではありませんよ)。
今の若者は書く力が衰えているって言いますからね(僕も若者ですが)。論文やレポートでネットのコピペをそのまま使う大学生が増えているんだそう(東進の林修先生が仰っていました)。東大生ですらそうだと言うのですから、今の時代は書く力が価値になる時代ですね。ペンは剣よりも強しですよ、それは今の時代まさに。
書く力が稀少になってきているから価値が高まっているだけではなく、書く力のニーズそのものも高まっていると思います。今の時代、サービスやプロダクトをいかにバズらせるか、口コミしてもらうかが重要になっています。Twitter、FacebookなどのSNSをはじめとした便利道具は揃っている訳ですから。なのでネットを活用して自分の考えを正しい日本語で発信できる人はそれだけで市場価値の高い人だと言えるでしょう。
こうした書く力の供給減&需要増という双方向からの圧力が今の時代にはある訳ですね。言葉の復権と言葉の軽視という相反する2つのトレンドが同時に起きている。その原因は情報過多というこの時代特有の背景です。
最後に
自分が言わなくても誰かが言ってくれる時代、自分が行動しなくても誰かの行動の結果を家にいながら気軽にパソコンで享受できる時代にあって、冒頭のドストエフスキーの言葉はますます重みを増していると思います。
僕も新しい一歩と新しい独自の言語を恐れることなく、行動と革新によって自分の価値を高めていきたいものです。
もしよろしければコメントやシェアなどよろしくお願いします。
potatoaim