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potatoaim(ポテトエイム)が自分のiPhoneのメモ帳を晒していくブログ。

THE POTATOAIM

potatoaim(ポテトエイム)が自分のiPhoneのメモ帳を晒していくブログ。

謝る姿が様になるのがカリスマである

 

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0.今日の結論

謝る姿が様になるのがカリスマである。

 

1.僕は謝るのが苦手。

(1)謝るのは恥ずかしい?

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僕は謝るのが苦手です。その理由の1つとして単純に自分の間違いを認めることが恥ずかしいというのがあります。人を信頼できる人はいいですが、人間不信な人は謝ると後々にいろいろ嫌なことがあるのではないかとつい考えて謝るのが遅れてしまいますよね。人間関係を壊してしまうのではないかという恐怖心もあります。

 

(2)俺は間違ってない!

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もう1つの理由として、本当に100%自分が悪いと言えるケースは非常に稀だということがあります。原因をかなり遡っていくと、実はそもそもミスや失敗が必然的に生まれる環境だったということはありますよね。自分が悪くなくても謝ることができるのは立派な大人の証ですが、社会人になれば誰でもできるようになるものではないですね。

こういった理由で謝れないのは頭のいい人に多いのかもしれません頭のいい人は問題発生の後ろにあるバックグラウンドを広く見渡すことができるので、本質的な原因が割と簡単に分かってしまうのですが、それが言い訳に映ってしまうわけです。

 

(3)謝ったら負け

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謝罪ができなくなってしまう最後の理由として、謝らなければそもそも失敗したことを気づかれないのではないかという浅はかな期待があります。

ちょっと失礼なことを言ってしまったと気付いても平然と会話を続けることで、『こんなことで気にする自分の心が狭いのかな?』と相手に思わせる作戦です。まあ大体こういう作戦は失敗して、後で影で良くない評判を流されてしまうことになるのですが(笑)

 

2.なぜ謝る姿が様になるとカリスマなのか。

(1)堂々とした謝罪って難しい

 

なぜ堂々と謝る姿がカリスマティックなのか、それは単純に堂々とした謝罪は難しいから。謝るとなると、(悪いと思ってないけどオトナだから)嫌々に謝っているという感じを出してしまったり、反省しすぎて情けない卑屈な謝罪になってしまったりしがちですそういう人に仕事を任せてはおけないので上司のような立場の人が代わりに尻拭いをすることになり手間を取らせてしまうわけです。しかし、自分で責任をとって自分で自分の尻拭いをすると決めた人はかっこいいです。謝罪にこもった自分で何とかするという決意・信念は相手に伝わるものです。そういう人の謝罪には誰でも心を打たれるものです。

 

(2)潔く謝ることで評価が高まる

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またしっかりと自分の非を認めて謝ることで、この人に任せたのは間違いじゃなかった、このまま任せてみようと思ってもらえます。非を認められるということは自分のしたことを客観的に見られるということでもあります。そういうまだ冷静さを失っていない人であればきっと失敗を取り返してくれるだろう、と信じて周囲の人はその後もついてきてくれるわけです。

 

3.謝る姿のかっこいいカリスマたち

(1)HIKAKINさん

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僕がかっこいいと思った謝罪は、日本トップのYouTuberとして活躍しているヒカキンさんです。彼はアケビを食べてみたという動画で、アケビに食べられる部分と食べられない部分があるということを知らず、食べられない部分を食べてアケビの味を酷評してしまったことで一部ネットで炎上してしまったことがあります。その問題の動画の後ですぐに出した動画で自身の知識不足・事前のリサーチ不足を深く謝罪したのですが、その謝罪姿が素晴らしいものでした。泣きながらでも情けなく見えない、関係者に迷惑をかけたことを心から詫びる大人の謝罪に僕の目には映り、とても心を打たれたことを覚えています(思わずグッドボタンを押してしまいました)。動画の最後では改めて正しい食べ方でアケビを食べてアケビは美味しいものだということをファンに伝えるのですが、自分が原因で起こした問題を自分で解決しようとしたこの姿勢も素晴らしいものだと思いました。

 

(2)大竹まことさん

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大竹まことさんといえばズバズバと歯に衣着せない物言いをする威厳のあるテレビコメンテーターとしてお馴染みですが、そんな大竹さんの娘が違法ドラッグ関連の罪で逮捕された際に、大竹さんは髪をさっぱり短くして普段テレビで見せていた荒々しい姿とは対照的な優しいお爺さんのような姿で会見場に姿を見せていましたね。その姿と普段とは異なる粛々とした口調は私たち視聴者には弱々しく見え同情を誘うものでした。テレビで普段のキャラとは違う弱々しい姿を見せることはタレントとして勇気と決断を迫られることだったはずです。自分ではなく娘がしたことであればそれはなおさらだったでしょう。100%の非を認め、しかも自分ではなく愛する娘のために謝罪に臨んだ大竹さんの姿に、『悪いのは娘さんであって大竹さんは悪くないのだから責めるのはおかしい』といった大竹さんを擁護するような論調も生まれたりしました。謝罪はしっかりと行えば次のチャンスを与えてくれるものだということですね。

 

5.まとめ

カリスマ的な存在になりたいと思うことが僕はあります。どうすればカリスマになれるのかを考えてきた中で、堂々たる謝罪というのはカリスマたちが必ずといって言いほどみな実践していることだと気付きました。

ただし堂々とした謝罪ができればそれだけでカリスマになれるという訳ではなく、カリスマたちは例外なく様になる謝罪ができるということですので堂々とした謝罪はカリスマを構成する単なる一要因に過ぎないことはご了承ください。

 

potatoaim